富士山測候所を活用する会
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富士山測候所の歴史

Milestone
富士山測候所の有人観測は、1932年(昭和7年)から2004年(平成16年)まで72年間続きました。ここではその前史を含めた主なできごとを年表形式で記載しています。
西暦 元号 できごと
1880明治13初めての本格的な気象観測
"東大物理学科の米国人、トマス・メンデンホール(Thomas Carwin Mendenhall 1841-1924)が、田中館愛橘らとともに山頂に3日(4日?)間滞在。気象観測や重力測定、天体観測や測量など、各種実験。このとき、標高3778メートルと算出。
1883明治16御殿場口の原型完成
「富士山東表口」が地元によって拓かれる。
1887明治20気象観測(その2)
9月、ドイツ人エルヴィン・クニッピングが中央気象台の正戸豹之助と須走口頂上で。
1889明治22気象観測(その3)
富士山頂久須志岳の石室で中村精男ほか2名が、山中湖畔では近藤久治朗が38日間、初めて正式な気象観測を開始。
1889明治22御殿場駅が開業
国府津 - 御殿場 - 沼津( - 静岡)間が開業、その中間駅の一つとして御殿場駅が開設された。東表口(現在の御殿場口)の起点が御殿場駅となる。
1895明治28定期的な夏季気象観測の開始
中央気象台が久須志岳で夏季富士山頂気象観測を続ける。

1895

明治28

冬季気象観測の試み

野中至が私財を投じて山頂剣が峰に観測所用建物を建設し、10月から初の冬季気象観測を開始。しかし、至・千代子夫人共に病気となり、越冬ならず12月に観測継続を断念し下山。
 『野中到・千代子資料館』へリンク
1896明治29野中氏の報文発表
  野中至が『地學雜誌』8~10月号に「富士山気象観測報文」を連続執筆。
1898明治31ラフカディオ・ハーンの登山
小泉八雲(ギリシャ生まれ 日本に帰化)。
1900明治33観測事業の提言
  野中至が『地學雜誌』5・7月号に「富士観象事業に付て」を執筆。
1901明治34筑波山頂に観測所建設
初代所長は佐藤順一。
1907明治40気象の論文
佐藤順一、『氣象集誌』に論文「日本の高山観測」を発表。
1909明治42御殿場口登山道
陸軍滝ヶ原廠舎設置に伴う軍用道路開設で、御殿場駅から山頂に至る現在のルートとなる。
1922大正11伊豆ヶ嶽に噴気
関東大震災後にいち早く沼津測候所の技手が登山、石室の大きな被害と新たな噴気を記録。
1923大正12山頂で天気予報
摂政宮の登山。中央気象台技師の国富信一が山頂で天気予報を行う。
1926昭和1標高3776mに
最初の測量記録は享保12(1727)年に福田(姓のみ記録あり)氏が吉原から実施したもので、3895m。

1927

昭和2

佐藤小屋完成

佐藤が東京自動車学校鈴木靖二校長の寄付を得て観測小屋「佐藤小屋」を山頂東安河原に完成、気象観測は昭和6年(1931)まで続いた。
1927昭和2阿部雲気流研究所設立
富士山の山雲を研究する阿部正直が、御殿場市に私設の研究所として開設。
1930昭和5富士吉田まで電車開通
富士岳麓鉄道(現在の富士急行)が大月~富士吉田間に鉄道を開業。

1930

昭和5

佐藤順一の冬季観測

野中夫妻の命懸けの観測から25年を経て、厳冬期の1月から2月にかけ強力梶房吉の協力を得て山頂滞在観測。

1932

昭和7

「中央気象台臨時気象観測所」・通年観測開始

第二極年国際協同観測の一つとして山頂東安河原に「中央気象台臨時気象観測所」を設立、一年限りの予算で観測を開始。

1934

昭和9

観測所廃止を免れる

第二極年観測後の富士山頂の観測所が資金難で閉鎖されようとしていたのを、三井報恩会の援助により継続が決定。
 富士山頂の観測所閉鎖の難を免る 三井報恩会から7千圓(東朝新聞:昭和9.8.19)
「つい先頃癌研究所のラヂウム購入に百萬円を投出した三井報恩会では資金難で今年から閉鎖する外はあるまいとされていた富士山頂の観測所に約七千円を補助して甦生させることになった…」
丹那トンネル開通
丹那トンネル開通に伴い、東海道本線を熱海経由に変更、国府津 - 御殿場 - 沼津間は御殿場線となる。
1935昭和10予算が認められる
国会で剣が峰への移築費が認められ、国家予算として山頂の気象観測の経常費がついた。
1935昭和10最初のケーブルカー計画
元貴族院議員の山崎亀吉による。内務省により却下。昭和 35・38年にも別のケーブルカー計画。
1936昭和11正式名称がつく
「中央気象台富士山頂観測所」が正式名称となり、山頂剣が峰に新庁舎を建設し移転。
1937昭和123号庁舎まで完成
東安河原の旧庁舎を剣が峰に移設し、3号庁舎とした。
1940昭和154号庁舎完成
庁舎の南側に増設。
1941昭和16御殿場基地事務所が開所
現在に至る。
1942昭和17太郎坊避難所設置
御殿場口太郎坊に山頂勤務支援のための避難所を設置。
1944昭和19送電始まる
逓信院は東安河原の観測所避難所を東京―八丈島間の無線中継所として送電線を布設。観測所にも分電した。
今村一郎が殉職
4月、交替登山中に吹雪のため道を失い、4合目付近で殉職。享年19。
山頂空襲
12月3日、翌年の7月30日(3名軽傷)、8月13日の3回。
1946昭和21小出六郎が殉職
12月、登山中の交代班員を迎えに行き、9合目付近で滑落。享年28。
1948昭和23三島測候所から分離・独立
 
1949昭和24名称変更
「富士山観測所」に改名。

1950

昭和25

「富士山測候所」に改名。測候所に昇格

(*)以降、2008年(平成20年)に「富士山特別地域観測所」となるまでの58年間「富士山測候所」の名称。
1952昭和27天然記念物指定
吉田口中ノ茶屋周辺の、レンゲツツジとフジザクラの群落。
1957昭和32浅間大社が訴訟
明治維新で強制的に国有地化されていた8合目より上の、国に対する返還訴訟。昭和42(1967)年に最高裁で大社側勝訴。
1958昭和33長田輝雄が殉職
2月。7合目付近で勤務登山中に突風に飛ばされる。享年59。
トンネル掘削開始
地下水利用のため、富士綜合開発が大宮口1合付近に全長 2017mの横穴を掘るが水は出ず、昭和36(1961)年に中止。後に東大地震研が利用。

1959

昭和34

伊勢湾台風

9月22日に発生した台風15号(「伊勢湾台風」)は、死者・行方不明者 5千人以上という未曾有の大被害をもたらす。日本本土に近づく恐れのある台風の位置を早期に探知することが社会的要請となり、富士山レーダー設置の契機となる。
 災害をもたらした気象事例「伊勢湾台風」(気象庁ホームページへリンク)
1960昭和35長田尾根安全柵建設
寄付により御殿場口上部の長田尾根に安全柵建設が始まる。
1963昭和38レーダー設置決定
予算がつき、機器の製作、レーダー塔の建設、庁舎の改装を開始。

1964

昭和39

気象レーダーが完成、実用化試験局として運用開始

この建設工事のドキュメントは、NHK総合テレビ番組『プロジェクトX~挑戦者たち~』の第1回 「巨大台風から日本を守れ 富士山頂・男たちは命をかけた」(2000年3月28日放映)でとりあげられ、大きな反響を呼ぶ。

富士スバルライン開通

河口湖から標高2,305mの五合目までの約30kmの山岳道路が供用を開始。観光登山客の急激な増加をもたらす。
1965昭和40正式運用開始
レーダーが陸上標定局の正式承認を受ける。東京で式典、10円の記念切手発行。
1966昭和41BOAC機墜落
羽田発香港行きBOAC機が御殿場口太郎坊に墜落。124 名全員死亡。
表富士周遊道路全面開通
静岡県側の富士山麓に建設された御殿場市~富士宮市、および富士山二合目~富士山新五合目を結ぶ計34.5km
1967昭和42大沢崩れ対策の始動
参院予算委で大沢崩れ下流の土石流の問題が指摘され、国が砂防対策へ動き出す。
雪上車導入
交替登山職員の負担軽減に大きく寄与。
1970昭和45新庁舎建設工事開始
レーダー塔及び4号庁舎(電源室)を除きすべて取り壊し新しい2号庁舎及び3号庁舎の建設に着手。
1972昭和47大雪崩事故
3月、御殿場口で24名死亡。

1973

昭和48

新庁舎完成

工期4年をかけて2号庁舎・3号庁舎が完成。新幹線車両をモデルにしたという2階建てで、外壁はアルミニウム合金製。
 「富士山頂の新幹線」交通新聞2010.06.14

送電線更新

山頂の電力使用量増大に対応するため、新庁舎の改築に合わせ、地下埋設ケーブル及び架空線からなる総延長約10kmの送電線路を特別高圧6.6KVに更新。
 「富士山頂を上る海底ケーブル」スタッフブログ2014.10.31
1978昭和53気象レーダー更新
デジタル処理を採用。
1980昭和55福田和彦殉職
4月、観測勤務中に火口に滑落。享年26。
岩屑なだれで大事故
8月14日、久須志岳直下の岩が崩落、吉田大沢で死者12 名、負傷者 31名。事故後に下山道のルート変更。
1984昭和59気象テレメーター更新
御殿場基地事務所に山頂気象観測データー監視表示装置が設置される。
1985昭和60デジタル化レーダー本運用
地形エコー除去機能の追加、カラー画像やデジタルデータの伝達など。
1987昭和62有感地震
山頂では稀な有感地震を4回記録。
1992平成4セスナ機が火口に墜落
6月6日、小型セスナ機が山頂火口に墜落。3人全員死亡。
1993平成5標高の変更
山頂2等3角点の標高が、従来の計測より66cm低いことが判明。
1997平成9富士山レーダー廃止決定
気象衛星の発達により台風の接近を観測できるようになったことと、代替レーダーが静岡県の牧之原台地と長野県の車山の2カ所に設置されることなどにより、富士山でのレーダー観測の必要性がなくなり、廃止を決定。

1999

平成11

富士山レーダー廃止

11月1日をもって運用を終了。
その後、レドームは解体撤去され、富士吉田市の体験学習施設富士山レーダードーム館で永久保存される。
2000平成12IEEEマイルストーンに富士山レーダー認定
IEEE(米国電気電子学会)が電気・電子技術やその関連分野における歴史的偉業に対して認定するIEEEマイルストーンを受賞。
 IEEE Milestones > Mount Fuji Radar System, 1964
2001平成13 レーダードーム撤去完了
三島測候所無人化
初冠雪の通報業務廃止。
2003平成15富士山測候所の無人化を発表
平成16年夏季をもって(夏期以外)無人化することを気象庁が発表。
 富士山測候所山頂庁舎の非常駐化について(気象庁HPリンク)

2004

平成16

富士山測候所の無人化・富士山自動気象観測装置運用開始

10月1日をもって1932年(昭和7年)から続いた72年間の有人観測に幕。
2005平成17「富士山測候所山頂庁舎等有効利用検討委員会 中間とりまとめ」を発表
富士山測候所山頂庁舎及びその関連施設の有効利用のため、平成15年11月に発足させた関係機関から構成される「富士山測候所山頂庁舎等有効利用検討委員会」における庁舎の有効利用についての中間とりまとめを報道発表。
 富士山測候所山頂庁舎等有効利用検討委員会 中間とりまとめ(気象庁HPリンク)
2008平成20「富士山特別地域気象観測所」へ移行
「富士山測候所」は、近年の観測技術、通信技術の発達等を踏まえた業務の効率的運営の観点から、平成20 年10 月1日をもって「富士山特別地域気象観測所」となる。
 「富士山測候所」の「富士山特別地域気象観測所」への移行について(気象庁HPリンク)
(※注)無人化以降の旧富士山測候所の活用のあゆみについては、沿革を参照ください。
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© 2005 NPO Valid Utilization of Mt. Fuji Weather Station